和☆くんは平成8年5月20日に生まれました。
同じ年の9月に天国へ旅立ちました。
4ヶ月と8日の
とても短い生涯でした。

今はお空の上から「ああ、またお兄ちゃん怒られてる」なんて
見ていることでしょう。

予定日より1週間遅く生まれましたが
和☆くんは普通に生まれ、普通に育っていました。
予定日に産まれていたら、友☆と同じ誕生日だったな。

正常分娩で2962g
分娩時間1時間02分
破水から始まり、病衣に着替えることなくすぐに生まれました。
元気な男の子。
友☆に弟が出来た瞬間でした。
黄疸も通常範囲内でしたが、
友☆が血液型不適合で黄疸値が高かった事もあり、
入院中に良く見て欲しいと要請し、再検査をして貰いました。
特に異常は見られず安心して退院。
今回は北海道の実家から両親が一週間
遊びに来て、二人目の孫を喜んで見てくれました。
おまけにうちの台所などをお掃除してくれました。(笑)


1ヶ月検診時にも異常は見られず、順調に成長してました。
右陰嚢肥大が見られましたが、経過観察で様子を見ることに。
その後肥大は消失し、健常になりました。
つまり・・・普通のたまたまに・・・



これは友☆と和☆とダイ



2ヶ月の頃には夜もまとめて寝てくれるようになり
友☆の時と比べるとすごく楽でした。
目を合わせるとニコニコ笑い、喃語も出てきました。


友☆が使っていた子供用イス


3ヶ月の頃は甘えが出てきて
抱っこが大好き。ベビーカーを使うより抱っこ。
本当に一日中抱っこしていたような気がするな。
今思うと、短い一生分の抱っこをせがんでいた様に思う。
本当によく抱っこしていました。
この頃になると喃語が出てきました。
よく赤ちゃん語の喃語で友☆と話していました。
首も据わりだし、1/2ほど身体を反り寝返りの練習も始めていました。
両手を前に持ってきて合わせる事が出来るようになり
口に手を入れて、指しゃぶりをし始めました。
友☆の時には「100日記念」に写真撮影をしましたが
和☆くんの時は自宅で写真を撮っただけ。
今考えると、残念でなりません。
自宅で食べる真似をした写真を撮りました。



順調に毎日が過ぎていくのだと思っていました。
時々黄疸が気になる事はありましたが、友☆のときも黄疸値が高く
暫らく黄疸が現れていたので、和☆くんも自然に治るのだろうと
疑いもせず、信じていました。



平成8年9月17日 AM4:30頃号泣。
おっぱいを含ませても泣き止まず抱っこしてあやす。
その内AM6:30までうとうと寝始める。
AM7:20 目が覚め、母乳を飲んでいた和☆くん 急に噴水様嘔吐。
発汗多量にあり、着替える。排便もある。

同日AM9:30 国立病院受診 
診察・・・嘔吐を考慮し小児によくある「腸重積」等が
考えられると言われました。
その場で浣腸したが排便がある為
一時的な嘔吐も考えられ、風邪も考えておきましょうとのこと。

乳首を含ませると吸ってはくれるが、母乳を飲んでいたかは定かではない。
薬処方されるが、帰宅して暫らくしたPM2:00頃、
母乳飲んでいた和☆くん、嘔吐多量及び喘鳴あり。
顔色が段々変わり、様子が急変したのが見てわかった。
すぐ呼吸困難呈した状態となった為、
ちょうど家にいた旦那と車で、再度病院受診する。


時間外受診した結果、緊急入院と診断された。
肝臓肥大がひどく、呼吸も浅く早い状態。
肝臓部分は外から見てもわかるほど、盛り上がっていた。
見るだけで解るほどの黄疸値上昇。
まずレントゲン(X-P撮影)するも、外傷なし。
肝臓部分を白い大きな影が広がっていた。
病棟で個室を宛がって貰い、O2テント使用。
点滴にて血管確保。
PM3:00頃、和☆くんの意識レベルが著しく低下してきた。
腹部CTスキャン施行。
その後呼吸抑制が見られ、自力呼吸は困難となり
人工呼吸器送管される。

この間の時間の経過が早いのか遅いのか未だに良く解らない。
記憶出来ていないのか、記憶していないのか。
ただ、それどころではなかったのだろう。

和☆くんが入院した個室にはたくさんの機器が運び込まれ
何かある度に親は廊下に出された。
病棟内の診察室で病状に付いての説明があった。
X-P写真とCT撮影写真が電光板に貼られ
医師の口から難しい言葉がどんどん溢れてきた。
今振り返ると、何をどう説明していたのか余り記憶していない。
とにかく見通しが悪いと言われた。
黄疸、肝臓の様子、呼吸抑制などから
急性肝炎かも知れないとその時は診断されたが
意識レベルの低下もあるので、もう一度CTスキャンする事になった。

PM7:00過ぎ 頭部CTスキャン施行。
和☆くんの意識障害の原因は脳幹付近の出血による脳圧障害による水頭症。
息が止まりそうなほどのショックです。
なんでそんな所に出血が?
脳圧障害?
自分の泣き声で医師の説明もよく覚えていません。
所々で「予後」「手術」「肝炎」等が聞こえてたような気がします。
医師とオリエンテーリングの結果、すぐにOpe開始。
PM9:40  Ope(脳圧迫を減圧する為のドレナージ施行)


この時点からもう和☆くんは笑う事も、話す事も、抱く事も出来なくなりました。


昼間は旦那が付き添い、夜間は私が付き添いました。
でも実際には何もする事が出来ません。
機械で呼吸し、機械で栄養を摂り、機械音しかしない病室。
その機械を眺めている他はする事がありません。
時々手のひらを爪でゆっくりひくと、和☆くんの手が反応して
ぴくぴくと動きました。
この反応だけが僅かな「希望」への救いでした。


数日後、担当医師から検査の連絡がありました。
和☆くんの脳神経のレベルを調べ始るのです。
脳波計をつけ聴音に反応するかどうかの検査です。
何日も検査した結果、反応は見られず「脳死」と判定されました。
植物人間と言われました。。


ちょうどその頃TVで「ゆっぴぃー」が放映されました。
この番組はほんの少しの希望でした。
脳死判定が出ても、子供の脳は柔軟性に富み、
意外な方向に行く可能性があると言うのです。
もしかしたら意識が戻るかもしれない。
「奇跡」を信じたくなりました。


許可を貰い、枕もとにCDラジカセを置き
毎日昼間、音楽を流しました。
旦那は「きっと大丈夫」と消防車の形の
押し車を買って来ました。
「和☆には、まだ買ってなかったなかったもんな」
TVのようにこのまま生き続けるかもしれない。
そのうちに目を開け、反応が見られるようになるかも知れない。
その時は気持ちの表面だけでもそう思うことが、
付き添いする私の支えになっていました。


しかし、残念ながら和☆くんの腎臓がまず悲鳴をあげました。
尿量が低下し、ラシックスを投与したが余り効きはありませんでした。
腎不全です。
高ナトリウム血症も併発しました。
顔や手足にむくみが出てきて、黄疸が顕著になりました。

肝臓機能も低下して、改善治療中に心停止が見られました。
すぐに処治療を施し、心臓の拍動は元に戻りました。
人工呼吸器だけが頼みの綱でした。


一番辛かったのは、病室で人工呼吸器の音が聞こえる中
母乳の搾乳をしていたこと。
胸が張るので最初は冷凍出来るように、また飲ませる事が出来るようにと
一生懸命に搾乳していました。
もうこの頃になると、涙も静かに流れます。
泣き声は出ません。
母乳を搾りながら時々涙が滴り落ちるというだけです。


手を触っても、足をつねっても
刺激に対する反応は段々無くなり、温かみだけが
この頃の救いとなってきました。
人工呼吸器があるからだとは知っていましたが、
温かみは和☆くん自身が生きている証拠なのです。


9月28日 PM4:30 病院にいる旦那から電話。
急いで病室に行くと全身レベルが低下したが、今持ち直したと。
が、医師からは人工呼吸器や点滴などで状況維持しようとしても
和☆くんの内臓機能はもう悲鳴をあげ続けていると言われました。
「このまま治療を続けますか?それとも・・・・」
医師の言いたいことは理解出来ました。
治療の意味がなされない状況だったのはよく知っています。


どうしようか悩みました。
生きていて欲しいと思うけど・・・
これ以上は親の無理な願いなのかな。
解ってはいるけど・・・・・・解ってはいるんだけど・・・


PM8:00頃 また意識レベル低下。
心音も止まりがちとなり、機器に全てを託してる状況。
その時に旦那と相談して、これ以上の医療行為はもういい。
今のままの状況でいいと判断しました。
これ以上苦しい思いはさせなくていい。
これ以上の延命治療は、もういい。


静かに時間は過ぎていきました。
病棟内も静かでした。
静かな中、心音を告げる機器から冷たい連絡がありました。
そしてPM11:00 医師より永眠が告げられました。



同日、午後8時頃。
自宅で義理両親に預けられていた友☆は急に泣き出し
「病院に行く」と言い出したそうです。
今まで10日以上 両親が病院に詰めていても
文句も言わず、家でお留守番が出来ていたのに。
それは、和☆くんの心臓が止まった時間と同じ時間でした。
兄弟、肉親の目に見えない何かがあったんだろうな。
「虫の報せ」というのがあったのかもな。
後でその話を聞いて、また涙が出てきました。
友☆は和☆くんを可愛がっていたから・・・・・





同年11月に肝生検の病理報告がきました。
大変珍しい病気で「アラジール症候群では」との報告が来ました。
乳児肝炎で肝胆道系が障害を受けたものでなく、
構造上胆管が極めて少ない事から先天的な構造異常の病気である
「アラジール症候群」が最も考えれると言う報告です。
大変珍しい病気で、一般の内科医師や小児科医師でも
この病例を知らない方がいます。
日本で50症例程とその時聞いた様な気がします。
ただ和☆くんは「アラジール症候群」特有の顔貌や特別な所見が無く、
心臓奇形もなかった為可能性は低いと判断されていました。
乳児期に頭蓋内出血を伴うなど、本当に稀なケースだそうです。

遺伝的な病症が多いこの疾患で、両親共に健常なので
和☆くんは「突然変異型アラジール症候群ではと判定」されました。
凝固因子活性が通常より低くなり出血傾向が増長された上に、
偶発的な頭蓋内出血をきたしたものと判断されました。
頭蓋内に出血する前に診断、検査する機会があれば・・・
思ってみても仕方ない事です。
でも考えてしまう事です。
最初の診察時に・・・・・・・そう考えてしまいます。
後悔と、精一杯やったという思いが入り混じりました。


母乳はすぐに止まりました。
お葬式は自宅でしました。
知人がいろいろ動いてくれて
本当に何もしていない、出来ないのに葬儀は進んでいきました。
時間の経過も覚えていないのです。
当時は本当にたくさんの方々にお世話になったと思います。


あれこれと思い出すと、未だに辛く泣けてきます。
これを作成する間も、涙が出てきて何度も途中保存して
時間をかけて此処まで来ました。
亡くなった人の事を余り引きずるのは
良くないとか聞きますが、どうしようもありませんよね。
でもこうやって思い出として、記録出来るまでになりました。



きっと同じような経験をされた方がたくさんいると思います。
今も大変な思いをされている方がいらっしゃると思います。


一時はどうしようもなく泣き通しだったけど、
時間の経過と共に違った見解が出来るようになったり
落ち着く事が出来るようになったりしました。

他のことでも、みんな大変な事を抱えていたり、
これから大変な事と出会ったりするかも知れません。
でも大丈夫です。
時間と家族と友達が助けてくれます。
そして
自分も何かあったら手を差し出せるように為りたいです。




H13-5-26

H13―6月下旬現在、たくさんの方がこのサイトを見て
たくさんの方がたくさんの言葉を
私と和☆くんと家族にプレゼントしてくれました。
本当にありがとうございます。
まとまりのない拙い文章を最後まで読んで
その時、感じた気持ちを頂き、
本当に嬉しく思います。
また、現在進行形で病気や苦難と闘っている方がいらっしゃると思います。
心から応援致します。

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