友☆の妊娠&出産&育児のきろく

≪友☆の出産後のはなし≫



入院した病院の病室は6人部屋。
母子同室制の病院だ。。
出産した日は隣に我が子はいないが
他4名の赤ん坊の声や見舞い客の声は薄いカーテン越しによく聞こえる。
朝3:00に妻の実父から電話を貰った旦那。
その日の飛行機チケットをすぐにゲットして、妻の元へ来てくれた。
この時は嬉しかったな。
退院してから見に来ると思っていたから。
退院後も来てくれて、1週間妻の実家に泊まってくれた。

が、当時の旦那は後で思うと・・・ちょっと・・・可哀想かな。
カーテンに仕切られたベットの横に座り、
うとうとしている妻の横でする事もなく黙っている。
下手にカーテン開けて乳飲ませている他の奥さんと目があうと大変だしね。(笑)
旦那は一晩σ(^^)の実家に泊まり、
次の日に一旦自宅(東京)へと帰宅。
ご苦労さん。

見舞いに来てくれた高校時代の友達や、
旦那の両親、私の弟と妹、叔母さんと従姉などに
母子同室なので、すぐに生まれた子供を見せることが出来た。
これは素敵だと思ったな。
ただ、面会時間が朝8時頃から晩8時頃までO・Kの医院だったので、
ゆっくり昼寝は出来なかったな。
気が付くと朝食前に旦那や母親がいる人もいて、
寝起きの顔での挨拶も、そのうち慣れてきた。
(≧▽≦)
おまけに隣に我が息子がいるし、夜中も昼間も赤ん坊は泣くし、
オムツだ、お乳だって忙しい。
次に生むときは、母子別室にしよう!
強くそう誓った。

┌(・。・)┘└(・。・)┐┌(・。・)┘

最初のうちはお乳も張らず4日目に胸が張るまで、
看護課まで、がに股でミルクを貰いに通った。
乳が張り出した4日目に息子は「血液型不適合」で
黄疸値が高いことが判明し、
光線療法を受けることとなった。
一日5時間も息子が側にいない。
ゆっくり眠れるかと思ったが、乳がだんだん張ってきて、それどころじゃない!
アメリカの雑誌プレイボーイ表紙を飾れるほど、
むっちむっちのボイン状態!
余りにも張り痛みが強くなり、マッサージや冷罨法でその場をしのいだが、
次の日も息子は5時間の光線療法へ行ってしまった。
張りまくった乳は絞ってもらったり、
他の新生児に飲んで貰ったりした。
その後順調に母乳は出て、8ヶ月まで母乳だけで息子を育てることが出来た。
黄疸も生後11日目に再院し検査した所、無事標準値になった。
良かった。



まめな父
退院して実家に帰宅した生後7日目に、「臍の緒」が落帯する。
孫が出来て一番喜んでいたのは、父。
入浴を始めとして、湯冷まし作り、オムツ替え、
オムツ干し、泣いた時はあやすまで
暇があれば母乳以外全てしてくれる。
ありがたい父である。感謝。
ただ、ベビーバスには反対で
自分がお風呂に入れたかったようだ。
毎日浴槽を洗うから、綺麗なお湯だからとごね続け(笑)
友☆と一緒に入浴出来たときは、すごく嬉しそうだった。

友☆とσ(^_^)の一ヶ月検診が済み、
東京に戻る時に、一緒に付いて来てくれた両親。
そのまま、お宮参りに行き、お祝いしてくれた。
感謝してます。
v(^_^v)♪ありがと♪(v^_^)v



歯が生えた
母乳を飲み、離乳食を食べ、大きくなっていく友☆
寝返りをしているのを見たのは4ヵ月半の時。
その同時期に下顎から歯が1本萌出したから大変なことになった。
ずいぶん早く歯が生えたな〜と最初の頃は珍しく、
ちょっと誇らしく思っていたが(なんでそう思ったのか今では不思議)
母乳おんり〜の友☆は哺乳瓶を嫌い、
おしゃぶりも各種メーカー揃えたが気に入って貰えず
補助乳頭という物を使い、母乳をあげ続けた。
でも吸われるとすごい痛い・・・
5ヵ月半で次の歯が生えてきた。
吸いながら、噛む。
歯固めにされる乳首。
その内に血だけでは済まず、黄色侵出液が乳首から出始め、
私の方はとうとう熱が出てきた。
婦人科受診すると「こんなおっぱいを飲ませちゃ駄目だ」
とすごい勢いで怒られた。
8ヶ月で断乳。
離乳食だけとなる。(^。^;)ホッ!




2才2ヶ月の時の話。
ある日「鼻が痛い」と訴えた友☆。
見てみると奥のほうに何かがあるような・・・
なんと2日前にトウモロコシを食べた時、鼻に詰めたと言う。
掃除機やピンセットで取ろうとしたが届かず、
初めて耳鼻科に行くこととなる。
編み針のような診察道具で引っかき出すと、
大人の親指くらいまでふやけたトウモロコシが1個半出て来た。
バカな息子である。




舌小帯短症の話。
生後6ヶ月検診の時に、友☆の舌の先端部分が
舌の付け根にくっついており、健常よりも短いと言われる。
先天性のものだそうで産後すぐに気が付けば、
その場で切開するのが、その時の小児医学界では通常の事だったそうだ。
(現在は切開するのかどうかは知らない)
しかし、友☆の6ヶ月検診時には小児医学界の方針が
「切開せず」の方向に傾き、検診担当の医師は
メスで切開しようか、どうしようかと悩む。
本当に「ああ、悩んでいるな」とわかるくらいに医師は悩む。
メスを用意したまま、持ったまま、ウロウロ悩む。
友☆を見て悩む。
メスの曇りを見て悩む。
足元を見て悩む。
看護婦を見て悩む。
すっごく悩む。
悩んだ結果、もう暫らく様子を見ることとなる。

そう言われてみると、友☆に「あっかんべー」をさせた時に
舌が逆さハートになっていた。
先端部分が付け根に融合されていたからだった。

1歳児検診の時、体重身長共に標準内で嚥下障害もないので、
切開せずにそのままでいいのではと医師に言われる。

が、3歳児検診の時に歯科検診してくれた歯科医が
「発音(RやNなど)に障害が出るかも。
縦笛等でも舌先を使ってという時に困るのはこの子だよ。」と。

幼稚園時代最後の年(6歳3ヶ月)に、再度診察。
将来を考慮すると必要性があるとその病院医師に判断され、
局所麻酔をし切開しようという話となる。
が、大の注射嫌いの友☆口を開けることが出来ない。
 泣き続けて30分以上、診察台に座り込む。
危険性があるので、全身麻酔で切開しましょうと言う事となり、
夏休み後半に人生初の入院が決定。
1本の局所麻酔が出来なかった友☆は、
入院に向け、押さえつけられての耳採血と血液検査を体験。
もちろん採血室には友☆の叫び声がこだました。


そして、入院は8/23〜8/25の2泊3日。
入院した当日はレントゲン撮影、尿検査があった。
問題は手術当日。
全身麻酔する前に麻酔導入剤を打つ(筋肉注射)のに抵抗し
余りの叫び声にカーテン越しに同室の男の子二人が覗き、
ナースコールで看護婦がどんどん呼ばれ
肩に針が刺せる状況じゃないので、臀部に施行する事となり、
うつぶせにした友☆の腕を後ろに回わし、お尻を出し、
3人の看護婦と私で押さえ込み、
ひとりの看護婦が針を・・・・・ぶすり!!
ぎぃやあああああ!!

その後大汗をかき、ぐったりした友☆。
更なる恐怖は点滴。
これは・・・全身麻酔の後にすることに変更した。
1時間くらいで手術室から病室へ戻ってきた友☆。
舌小帯切開後、3針縫ったそうだ。
手術終了し、退院した2日後に発熱。
解熱剤使用し数日間安静にしていた。
今じゃ、あっかんべーも普通の子と変わらず、
「R」「N」も綺麗に聞こえる。
結果、うん、手術して良かった。(本人談)




救急車の話。
友☆が初めて救急車に乗ったのは3才9ヶ月の時。
休日に家族で出掛けていた出先で急に
顔色不良となり、多量に食物嘔吐したのだ。
冷や汗も出てきて、悪寒も訴える。
悪い想像が頭をよぎり、
お店の方が呼んで下さった救急車に乗り近くの病院へ。
診察室に移動し、旦那と心配しながら顔を見合わせた。
その時である。
検温しようと友☆の脇に体温計を入れた看護婦に向かい、
看護婦さん、きれいですね。」
ずっこけた両親。
確かに若くて綺麗な看護婦だったが・・・・友☆よ・・・
医師も「う〜ん。一過性のものでしょうね。元気そうだし(笑)」と。
インフルエンザかもしれないなと診察していたが、
熱は37.4度以上上がらず、次の日は平熱だった。
恥ずかしい息子である。



いろんな病気の話。
子供ひとり育てるということは、本当にいろいろな事と出会い、勉強になる。
ただ、病気に関しては、出来れば勉強したくない。

友☆は、普通の風邪はもちろんのこと、インフルエンザ、
突発性発疹、急性中耳炎、トビヒ、蕁麻疹、
アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎、水疱瘡・・・。
病気ではないが、階段落ち、打撲、捻挫、毛虫かぶれ、虫歯・・・・。

まあ、子供はみんな、こんなものなのかな。

そういえば、夜になってから急な嘔吐が4回ほど続き、
夜間救急指定病院へ行ったことがある。
3才7ヶ月位だったと思う。
病院の待合室でも嘔吐し、何の病気か?と心配していた。
診察室で医師が「普通に寝ている」と。
汚れた服を着替えた友☆はすっきりした顔で寝息を立てている。
へ??
夕食は普通に食べてたよねと旦那に言うと、
「友☆は2階でも食事していたの?」と驚いた顔。
うちは旦那の親と同居だが朝夕の食事は別にしていて、
その日、自宅2階で食事を終えた友☆は内階段を降り、
階下のじじ、ばばのところで巻き寿司を食べたそうだ。
その後2階へ上がりデザートを食べる。
また階下へ降りイチゴを食べる。
2階に上がり麦茶などを飲み、布団に入る。
要するに「食べすぎ」である。
本当にバカな息子である。



まあ、無事に大きく育っているようだし、いろいろあっても良しとしよう。
平成5年5月13日生まれの友☆くん


その後の事は「エトセトラ」の方でお楽しみを・・・・


記:2001-5-17


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